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大阪高等裁判所 平成8年(ネ)1678号 判決 1997年9月19日

控訴人(附帯被控訴人、以下「控訴人」という。)

古妻クリニックこと

古妻嘉一

右訴訟代理人弁護士

米田邦

被控訴人(附帯控訴人、以下「被控訴人」という。)

甲野春子

右訴訟代理人弁護士

斎藤ともよ

西村陽子

高瀬久美子

太田真美

主文

一  原判決中、控訴人敗訴部分を取り消す。

二  被控訴人の請求を棄却する。

三  本件附帯控訴を棄却する。

四  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実及び理由

第一  当事者の求めた裁判

一  控訴人(本件控訴)

1  原判決中、控訴人敗訴部分を取り消す。

2  被控訴人の請求を棄却する。

3  控訴費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

二  被控訴人(本件附帯控訴)

1  原判決を次のとおり変更する。

2  控訴人は被控訴人に対し、金一一九一万六八五二円及びこれに対する平成三年二月二八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は第一、二審とも控訴人の負担とする。

4  仮執行の宣言

第二  事実の概要

次のとおり訂正するほか、原判決に記載のとおりであるから、これを引用する。

一  原判決の補正

1  原判決三頁四行目の「手術」を「胸筋温存乳房切除術」と改め、同六行目の「及び手術の内容」を削除し、同七行目の「切断」を「切除」と改める。

2  同四頁四行目の「(以下「平成三年」は省略する。)」及び同六行目の「、乳癌研究会員であることを標榜し」を削除し、同一〇行目の「一月」を「同月」と、五頁二号目の「二月二八日、しこり」を「同年二月二八日、右乳房」と同三、四行目の「胸筋温存乳房切除術」を「胸筋温存乳房切除術(非定型的乳房切除術の一種)」と改める。

3  同六頁四行目の「医的」を「外科的」と、八頁五行目「乳房切除縮小術」を「胸筋温存乳房切除術」と、一〇頁五行目の「大別して」から同六行目の「右の三つ」までを「胸筋温存乳房切除術のほか乳房温存療法があり、その二つ」と、一二頁一〇行目及び一三頁三行目の「乳房切除縮小術」をいずれも「胸筋温存乳房切除術」と改める。

4  同一四頁一〇行目の「一ないし三」を「1ないし3」と改める。

二  当審における争点

1  本件手術当時、乳房温存療法は保険診療報酬点数表に規定されていなかった(乙一四)が、このことが被控訴人主張の控訴人の乳房温存療法の実施義務、転送義務、説明義務を否定することになるか。

(控訴人の主張)

保険療養担当規則では、保険医は保険診療に組み入れられていない新しい療法を行ってはならないし、保険医療を利用して対象外の医療を行うことも他の施設を紹介して行わせることも禁じられている。すなわち、本件手術当時、乳房温存療法は健康保険を利用しては行うことができない手術であった。したがって、控訴人には乳房温存療法に関する何らかの法的な義務が発生する余地はない。

(被控訴人の主張)

本件手術当時、乳房全部切除術は保険診療の対象となっており、身体への侵襲がより少ない乳房温存療法が保険診療の対象とならないということはない。乳房温存療法は、保険療養担当規則一八条が禁じる「特殊な療法又は新しい療法等」ではなく、乳房全部切除術を「改善」するものであって、社会保険診療提要にいう「最も近似する手術」の各区分の所定点数表により算定することができるものである。

2  控訴人が前記説明義務を尽くしていない場合、本件手術は被控訴人の同意に基づかないものであったといえるか。

(被控訴人の主張)

被控訴人が本件手術に同意したとしても、右同意は、控訴人の説明義務違反に基づくものであって、瑕疵ある同意であり、適法な同意ではない。

(控訴人の主張)

被控訴人の主張する適法な同意がないということは、説明義務違反の別の表現にすぎない。

3  控訴人の乳房温存療法の実施義務、転送義務、説明義務の違反と、被控訴人の主張する損害との間に相当因果関係があるか。

(控訴人の主張)

(一) 本件手術後における乳房温存療法の評価について

本件手術後の平成七年に至っても、乳房温存療法については、手術適応の問題、残存癌の問題、放射線照射の問題、再手術の際のQOLの問題等が何ら解決されていない。したがって、控訴人が実施した胸筋温存乳房切除術は適切な施術であったものであり、被控訴人の被害感に法的保護を与えるほどの実質はない。

(二) 被控訴人の転医の可能性について

被控訴人の転医先として考えられる大阪府立成人病センターは、通院に一時間三〇分ぐらいかかるものであり、乳房温存療法の場合に予定されている放射線照射等のための通院の負担も相当のものであり、被控訴人が同療法の実態を知った上で敢えて転医を選択したか疑問である。

また、大阪府立成人病センターは、手術生検を行った症例の転医を引き受けて乳房温存療法を行うことは拒んでいたのであり、同センターへ転医することは事実上不可能であった。

(被控訴人の主張)

(一) 被控訴人主張(一)について

控訴人主張のような問題があることは事実であるが、いずれの問題も乳房温存療法を慎重に行うことが要請されるというものであり、これによって同療法が否定されるものではない。

(二) 控訴人主張(二)について

控訴人は、乳房温存療法の場合の通院のことを指摘するが、手術後に通院を要することは控訴人が実施した胸筋温存乳房切除術でも同様であり、通院時間の長さは乳房が残るかどうかの問題の大きさからすれば問題とならない。

また、大阪府立成人病センターが被控訴人の転医を拒んだという立証はない上、被控訴人が乳房温存療法の手術適応にあったことからすれば、手術生検の後であったとしても、同センターが被控訴人の転医を拒んだとは考えられない。

第三  判断

一  当事者及び本件手術に至る経過などについては、次のとおり訂正するほか、原判決の「第三 判断」中の一(原判決一六頁一行目から二五頁二行目まで)に記載のとおりであるから、これを引用する。

1  原判決一六頁一行目の「七」を「七、一三」と、同行の「乙一」を「乙一、七」と、一七頁三、四行目の「病院(以下「被告病院」という。)」を「被告医院」と、同七行目の「乳癌研究会の準会員(個人会員)」を「当初乳癌研究会の準会員(個人会員)となり、乳癌治療に関する実績を積んで」と、同八行目の「であり」から同行「標榜」までを「となっていたものであるが、前記診療科目に乳腺特殊外来を併記」と、同九行目の「乙一六」を「乙七、一六」と、同一〇行目の「経歴」を「症例」と、同行の「昭和六三年」を「本件手術前の昭和六三年」と、同末行の「平成四年」を「本件手術後の平成四年」と、一八頁五行目の「平成三年一月」を「同月」と、同行の「診療科目」から同六行目の「掲げている」までを「乳癌の専門医と考えられる」と、同一〇行目の「しこりは腋窩リンパ節にふれない」を「腋窩リンパ節は手に触れない」と、一九頁二行目の「弾性硬」を「皮膚固定」と改め、同六、七行目の「「成人病センターは混んでいて、またこちらに廻されます。」」を削除し、二〇頁四行目の「再度」を右結果を報告するとともに、再度」と同六行目の「血液検査を行ったうえ」を「同日、血液検査を行い、同月八日、再度被控訴人を診察したうえ」と、同末行の「悪性であった」を「悪性であり、控訴人はその旨を被控訴人に告知した」と、二一頁五行目の「湿潤性」を「浸潤性」と改める。

2  同六行目から同九行目までを次のとおり改める。

同月一五日、被控訴人は、読売新聞の朝刊で、「乳房を失うのが当たり前とされた乳ガン治療は「可能な限り残す」方向へ変わってきた」との紹介記事に接した。同新聞は、その中で乳房温存手術(手術の切除部位を極力小さくすると記載されている。)に触れ、その際の放射腺放射や化学療法の問題も紹介し、大阪府立成人病センターにおける手術時の写真及び同センターの小山博記のコメントを掲載していた。

同月一六日、控訴人は、前記確定診断の下に、胸筋温存乳房切除術適応と判断し、被控訴人に対し前記検査の結果を伝えた。そして、入院して手術する必要があること、生検をしたので手術は早い方がいいこと、手術の日は同月二八日がよいこと、乳房を残す方法も、今きちんと分かってないけれどもやられていること、しかし、乳房を残すと放射線で黒くなることがあること、乳房を残した場合また切らねばならないことがあることを説明した(原審における控訴人・被控訴人各本人)。なお、原審における被控訴人本人(甲七を含む。)は、一部右と異なる供述をするが、右被控訴人は、控訴人がその説明の中で「乳房を残すこと」、「その場合、放射線で黒くなること」、「再度乳房を切らねばならないこと」に触れていることについてはこれを認める供述をしているのであり、右事実によれば、控訴人の供述のとおり、控訴人が乳房を残す術法があることについても説明したと認めるのが相当である。なお、被控訴人の右供述中、控訴人が「結果が悪くて四期です。」と言ったという点は、控訴人がことさら虚偽の事実を告げなければならない必要性はなく、右供述は、原審における控訴人本人の供述に照らしても措信できない。

3  同二一頁一〇行目の「毎日」を「同月一七日、一八日」と、二二頁五行目の「そのころ」を「同日」と改める。

4  同二三頁二行目から同七行目までを次のとおり改める。

なお、同日、被控訴人は最近の新聞で乳がん治療は乳房を切ることから可能な限り残す方向に変わってきたとの記事をよんだ旨、今後四〇数年生きなければならないから可能であるなら乳房を残して欲しい旨をしたためた手紙(以下「本件手紙」という。)を控訴人に対して手渡したといい(甲一三、原審における被控訴人本人)、控訴人は、本件手紙は気持ちの整理がついたので全部お任せするとの趣旨であったという(原審における控訴人本人)。

右手紙は保存されていないため判然としないが、その内容は、乳癌と診断され生命の希求と乳房切除の狭間にあって、揺れ動く女性の心情の機微を書き綴ったものであり、さればこそ、被控訴人は、可能であるなら乳房を残して欲しいと訴えたといい、控訴人は、気持ちの整理がついたので任せるという趣旨であったというように、両様に読み取れる内容であったとも推察され、少なくとも、控訴人の被控訴人に対しては胸筋温存乳房切除術が好適との判断を変えさせるほど、強い内容の訴えであったとは解されない。

5  同二三頁九行目の「本件手術」から同行の「切断し」までを「後記のとおり、胸筋温存乳房切除術は、乳房を切除し」と同一〇行目の「大胸筋を残す方法が採られた」を「大小胸筋を残す方法である」と改め、二四頁一行目の「11」を削除し、同二行目の「湿潤」を「浸潤」と、同三行目の「12」を「11」と、同行の「平成三年」を「同年」と改め、同四行目の次に行を改め「12 被控訴人の予後は順調に推移している。また、被控訴人に乳房温存療法を施した場合の予後は不明である。」を加え、同六行目から二五頁二行目までを削除する。

二  原審争点1について

1  本件手術当時までの乳癌手術の状況について

証拠(甲一、四、五、六の1、2、八、九、三二ないし三四、三六、三七、四〇、七〇、七六ないし八七、乙三二、三四、三七、四三、四八の1、2、五〇、原審証人妹尾、同近藤、原審における控訴人本人)によれば、次の事実が認められる。

(一) 本件手術に至るまでの乳癌の手術の術式の変遷について

乳癌の手術は、一九世紀後半に全乳房、大胸筋、腋窩リンパ節を一緒に切除することが必要であるといわれるようになり、一八九四年ハルステッドによって右のような定型的乳房切除術(定型乳切あるいはハルステッド法ともいわれる。)が唱えられて以来、右術式が標準術式となった。しかし、右術式でも依然として再発率は高かったところ、その後、定型乳切に加えて胸骨旁リンパ節を一塊として切除をする拡大乳房切除術、さらに胸骨を縦切開して胸骨旁リンパ節のほか鎖骨上リンパ節も一塊として郭清する超拡大乳房切除術も実施されるようになった。一方、より小さな乳癌に対しては、全乳房を切除するが、腋窩リンパ節は郭清せずに照射する方法、大胸筋を温存して小胸筋を切除する方法(パティー法)、大小胸筋ともに温存する方法(オースチンクロス法・本件手術方法)も発表され、これらは非定型的乳房切除術と呼ばれた。

一九七〇年代に入って、米国では定型乳房切除術は減少し、非定型乳房切除術が主流となり、さらに、一九八〇年に入ると欧米ではリンパ節転移陰性と考えられる乳癌に対して、乳房部分切除すなわち乳房温存療法が急速に施行されるようになった(実際には米国における一九九三年時点で適応症例の約半数において乳房温存療法が実施されていた。また、別の報告によると、全米では一九八五年から一九八六年のデータにおいて、同療法の実施率は約二〇ないし四〇パーセント、ボストン近郊では一九八八年から一九八九年のデータにおいてⅠ期で約四三パーセント、Ⅱ期で約二六パーセント程度であった。)。

乳房温存療法の中で乳房の手術は、①腫瘤切除、②乳腺部分切除、③乳房四分の一切除の三種類の術式があるところ、美容的には腫瘤切除術が一番優れているものの、局所再発の危険性に鑑みれば、乳房四分の一切除術が安全であり、多くは同術式が用いられている(以下の考察は、同術式を柱として論を進める。)。また、乳房温存療法では、乳房に対する右手術のほか、腋窩リンパ節の郭清や残存乳房に対する放射線治療が併せて行われることが多い。

(二) 本件手術に至るまでの我が国における乳房温存療法の実施状況について

日本では、欧米に約一五年遅れて非定型的乳房切除術が普及し始めたため、一九八六年(昭和六一年)七月に開かれた第四四回乳癌研究会における日本の研究発表が非定型的乳房切除術であったのに対し、アメリカの芦刈、根本は、招待講演で乳房温存療法について講演し、世界の趨勢より日本が取り残されていることが明らかになった。その後、一九八八年(昭和六三年)に乳癌研究会に乳癌手術における「Iumpectomyの現状と問題点」についての研究班が組織されたのを始め、翌一九八九年(平成元年)二月一七日、第四九回乳癌研究会で「乳房温存術と放射線治療」というテーマでシンポジウムが行われ、同年四月、厚生省助成による「乳がんの乳房温存療法の検討」班(いわゆる霞班)が設置され、同年七月二一日、二二日に開催された第五〇回乳癌研究会で主題の一つとして乳房温存術式が取り上げられ、ようやく日本においても乳房温存療法への関心が高まってきた。

前記霞班においては、大阪府立成人病センター外科を含む一〇施設が参加し、平成元年一〇月一三日、「乳房温存療法実施要綱」(以下「本件要綱」という。)を原判決添付別表一のとおり暫定的に策定し(なお、右実施要綱は、後記(三)の⑫ⅰ、⑯ⅰ及び⑱の文献に登載されている。)、これに基づき臨床的研究を開始した。

そして、平成四年七月にまとめられた乳癌研究会のアンケート結果によれば、乳癌の専門医で構成された乳癌研究会二三六施設中の、乳癌手術における拡大乳房切除術、定型的乳房切除術、非定型的乳房切除術、乳房温存療法実施の割合は、一九八九年(平成元年)度において各10.3パーセント、29.5パーセント、52.7パーセント、6.5パーセントであり、一九九〇年(平成二年)度において各8.2パーセント、23.1パーセント、58.0パーセント、10.2パーセントであり、一九九一年(平成三年)度において各6.5パーセント、16.0パーセント、64.2パーセント、12.7パーセントであった。また、平成三年五月に公表された乳癌HCFU研究会に所属する一二〇施設に対するアンケート結果によれば、回答のあった一〇三施設のうち、一九八九年(平成元年)度に既に乳房温存療法を施行している施設が四五施設(四四パーセント)、そのうち実施例四例以下が六四パーセント、五ないし九例が二〇パーセント、一〇例以上が一六パーセントであった。さらに、平成五年一月に公表されたイデアフオーに対するアンケート結果によれば、平成三年に全国一二九施設で乳房温存療法が実施されていた(その中には、大阪府下で前記大阪府立成人病センターのほか国立大阪病院、北野病院、大阪警察病院、大阪厚生年金病院、千里保険医療センター新千里病院、市立藤井寺市民病院、近畿大学附属病院が含まれていた。)。

(三) 本件手術に至るまでの乳房温存療法についての発表された文献には次のようなものがあった(同療法の実施報告例を適宜記載する。)。

① 昭和六一年一月 近藤・橋本「乳房保存術による乳癌の治療‥プロトコール私案」(癌の臨床三二巻一号・甲七六)

② 同年七月 近藤・雨宮・橋本「乳房保存術後の短期経過観察結果」(乳癌の臨床一巻二号・甲七七)・実施例は⑨参照

③ 同年一〇月 雨宮・近藤・橋本「乳房保存を目指した乳癌治療法‥原発巣切除と腋窩郭清の手術手抜」(乳癌の臨床一巻三号・甲七八)

④ 昭和六二年五月 近藤・橋本・雨宮ほか「乳房保存による乳癌の治療」(日本医事新報三二八九号・甲三一)・実施例は⑨参照

⑤ 同年六月 近藤「問われる患者の知る権利:乳癌における乳房保存術を例として」(モダン・メディシン六月号・甲七九)

⑥ 同年七月 妹尾「特集縮小手術Ⅰ 乳癌の手術術式の変遷と手術の役目」(乳癌の臨床二巻二号・甲七〇)

⑦ 昭和六三年二月 近藤・雨宮・橋本ほか「乳癌に対する腫瘤切除と放射線照射後の遠隔成績」(癌の臨床三四巻二号・甲三二)

⑧ 同年一一月 雨宮・近藤「乳癌の手術術式」(外科五〇巻一二号・甲八〇)

⑨ 平成元年四月 近藤・雨宮「乳房保存療法の経験と論理」(臨床放射線三四巻四号・甲八一)・昭和五七年から昭和六三年九月で九一名に実施、最長六年の経過で局所再発、転移、死亡例なし。

⑩ 同年五月 妹尾ほか座談会「局所再発の治療」(乳癌の臨床四巻一号・乙三七)。

⑪ 同年九月 橋本「乳癌の放射線療法」(臨床外科四四巻九号・甲八二)

⑫ 同年一二月 特集・乳房温存療法(乳癌の臨床四巻四号)中の

ⅰ 霞ほか「総論 外科の立場から」(甲八三)

ⅱ 西「Quadrantectomy(四分の一切除術)による乳房温存療法」(甲八四)

ⅲ 園尾・伊藤・妹尾「乳腺部分切除術」(甲四一)・一九八七年から一九八九年一〇月まで乳腺部分切除術を四〇名に実施、二か月から最長二年七か月の経過で再発例はない。

ⅳ 園尾ほか七名・座談会「現状と問題点について」(甲六八)

⑬ 同月 霞「乳癌の縮小手術 乳癌温存療法について」(臨床科学二五巻一二号・甲八五)

⑭ 平成二年一月 前記第四九回乳癌研究会のシンポジウムの内容の掲載(日本癌治療学会誌二五巻一号・甲三三)

⑮ 同年四月 前記第五〇回乳癌研究会の内容の掲載(同誌二五巻四号・甲三四)

⑯ 同月 特集・乳癌の縮小手術をめぐって 胸部温存から乳房温存へ(外科治療六二巻四号)中の

ⅰ 霞ほか「予後からみた適応Q+Ax(四分の一切除術と腋窩リンパ節郭清)一〇〇症例の検討からLumpectomy+Radiotherapy(腫瘤切除と放射線照射法)を考察する」(甲八六)・一九八六年七月から一九八九年一二月まで結果の判明している一〇〇例に実施、断端陽性となったのは九例であり、うち二例は大・小胸筋保存術(非定型的乳房切除術)、うち四例は残存乳房切除術が実施された。なお、最長三年五か月経過で局所及びリンパ節に再発はない。

ⅱ 奥山・小山ほか「早期乳癌に対する乳房温存術式の試み」(甲八七)・一九八六年九月から一九八九年五月まで二二例に実施、三か月から三三か月経過で再発はない。なお、右報告は、大阪府立成人病センターのものである。

⑰ 同月 妹尾「乳癌の乳房温存縮小手術のQuality of Life からみた評価と問題点」(癌と科学療法一七巻四号・甲四〇」

⑱ 同年一〇月 霞ほか「乳がんの乳房温存療法の検討」(厚生省がん研究助成金による研究報告集・甲九)

⑲ 同年一一月 近藤「乳癌治療あなたの選択・乳房温存療法のすべて」(甲一)

(四) 本件手術当時における乳房温存療法の評価

欧米での多数の被験者による比較試験に基づく各報告(その内容ないし概要は(三)の①、③ないし⑦、⑨、⑫のⅰないしⅲ、⑬、⑱、⑲に引用されている。)によると、乳房温存療法は、ハルステッド法、拡大乳房切除術、非定型乳房切除術に比べて、乳癌の再発率、生存率において異ならないかむしろ優れていることが確認されている(ただし、英国における一報告を除く。なお、証拠(乙四六、四七)によれば、乳癌、大腸癌の治療法に関するアメリカ、カナダの共同研究グループであるNSABPが一九八五年に発表した腫瘤切除及び放射線照射を施行した場合と乳房切除を施行した場合の無作為比較試験の結果、これらが同じ成績であったということにつき、捏造データが入っていたということが一九九四年三月一三日、アメリカの新聞で報道され、乳房温存療法を受けた人の間に大きな不安と不信感が高まり、関係者が国会に喚問されるとともに政治上の問題にまで発展したことが認められる。しかし、右各証拠によれば、右捏造問題により、乳房温存療法の安全性等に具体的な修正を余儀なくされることはなかったことも認められ、右捏造問題は、乳房温存療法についての前記報告の結果を根底から覆すに足りるものではない。)。

欧米に遅れて日本で実施された乳房温存療法の報告によっても、再発例はなく、その予後に特に劣位性は認められず、同療法を実施した医師の間においては同療法が積極的に評価されている。同療法は、慶応義塾大学医学部放射線科学教室の近藤誠医師らによって先駆的になされていたもので、当初は同医師らによる実施報告が文献に掲載されるのみであったが、その後、厚生省助成による霞班が設置されるに伴い、これに参加した施設を中心にいくつかの実施報告がなされ、全国的にも同療法が試み始められていたものである。

しかし、霞班によって同療法の手術適応について本件要綱が定められたとはいえ、あくまで本件要綱は暫定段階にあったこと、霞班による同療法の臨床的研究の成果は未だ具体的には報告されていなかったこと、日本における同療法の実施例の報告は右に見たとおり未だ少数であり、経過観察の機関も短期間であること、同療法は、前記のとおり必ずしもその術式が確立していたものではなく、医師によりその方法に差異があることは否めないこと、同療法による癌細胞残存や局所再発のおそれの問題については未だ確定的な結論が出ているものではないこと、同療法実施にも係わらずリンパ節に転移していた場合や断端陽性の場合には他の術式を再度実施しなければならないこと、同療法実施に伴い放射線照射をどの程度必要とするか、放射線照射による障害の有無についてもなお研究途上にあること等、同療法の実施にはなお解決されなければならない問題点も多く、同療法が定着・確立するには臨床的結果の集積を待たなければならない状況にあったといわざるを得ない。

一方、同療法が奏功した場合には概ね患者の満足を得ており、同療法は外科的侵襲が少ないため、術後の患側上肢の運動障害が少ないことのほか、美容的側面や患者の精神的側面及び家庭生活における質の向上(クオリティオブライフ)の観点から優れていると評価できるものである。

2  本件手術後の乳房温存療法の評価について

(一) 証拠(甲一〇の1、2、乙二、一二、一三、三六、四二の1ないし4、四三ないし四五、四八の1、2、原審証人妹尾)によれば、次の事実が認められる。

本件手術後における乳房温存療法については、同療法が速やかに確立したといえる状況にはならず、むしろ、性急な同療法の実施に批判的な見解が同療法を実施している有力者からも説かれている。その主な問題は、適応基準、局所再発(癌の残存、潜伏癌)、放射線照射の効果に対する不安と副作用、患者の満足度等であり、これらは信頼できる遠隔成績が出ていないことが基本にある。そして、霞班の研究報告中にも一五二例中一例(後に二例)の再発が認められ、大阪府立成人病センターの実績報告においても平成六年九月までの二六四例(二七〇乳房)中、遠隔再発五例、局所再発八例(ただし、乳腺内再発五例はいずれも断端陽性であった。)が認められた。

しかし、乳房温存療法に警告的な右各見解も、結局は乳房温存療法自体を否定するものではなく、むしろ前向きに同療法を実施していくことを前提としているものであり、同療法は定着しつつあるとの評価がなされているものである。

(二) 右認定の事実によれば、本件手術後においても乳房温存療法が速やかに確立されたものではなく、その問題点が依然として多くある(もっとも、同療法による再発の危険性については、その数は右に見る限り同療法を実施するのに致命的な数値であるということはできない。)状況にあるということができる。

3 右1で認定の事実のとおり、本件手術当時、乳房温存療法は、欧米での比較試験の結果及び日本における実施例の報告により、その予後等については一応の積極的評価がなされていたというべきであるが、日本においては実施例の報告数が少ない上、経過観察期間も短く、さらに手術適応や術式の問題、再発のおそれや再手術の可能性、放射線照射による障害の可能性についてなお疑問を残し、これらについて臨床的に研究途上にあったものである。また、同療法の実施を開始した医療施設も多く、同療法に対する関心が高まっていたということはできるが、もとより専門医の間で広く同療法が実施されていたとまではいえない。

右の各点を総合考慮すれば、本件要綱に基づく手術適応が肯定されるとしても、同療法は未だその安全性が確立された術式であったと断ずることは困難であり、したがって、同療法の優れている点を考慮しても、控訴人が本件手術当時、非定型的乳房切除術(前記のとおり同術式は当時日本において六四パーセント余り実施されていた。)を採用せずに、乳房温存療法を実施すべき義務があったということはできず、また、控訴人が被控訴人に同療法を受けさせるべく、他の医療機関に転送する義務があったということもできない。

よって、この点に関する被控訴人の主張は採用できない。

三  原審争点2について

1  控訴人が被控訴人に対して行った説明のまとめについては、次のとおり訂正するほか、原判決の「第三判断」の三1(原判決三五頁七行目から三七頁二行目まで)に記載のとおりであるから、これを引用する。

同三六頁三行目の「湿潤性」を「侵潤性」と、同五行目の「乳房」から同六行目の「ならない」までを「手術の日は同月二八日がよいこと、乳房を残す方法も、今きちんと分かってないけれどもやられていること、しかし、乳房を残すと放射線で黒くなることがあること、乳房を残した場合また切らねばならないことがある」と改める。

2  本件手術についての説明義務の内容については、右原判決の三2(原判決三七頁三行目から三八頁末行まで)に記載のとおりであるから、これを引用する。

3  本件における検討について

(一) 乳癌であること、及び乳癌の進行程度、性質について

右原判決の三3(一)(原判決三九頁三行目から四〇頁八行目までに記載のとおり(ただし、原判決三九頁六行目の「湿潤性」を「侵潤性」と改める。)であるから、これを引用する。

(二) 実施予定の手術の内容について

右原判決の三3(二)(原判決四〇頁一〇行目から四一頁二行目まで)に記載のとおり(ただし、原判決四〇頁末行の「短いことばながら、」を削除する。)であるから、これを引用する。

(三) 他選択可能な治療方法とその利害特質、予後について

控訴人は、被控訴人に対し、乳房を残す方法があること、しかし、その方法によると放射線で乳房が黒くなることがあること、また、再度乳房を切らねばならないことがあることを伝えているから、一応、他に選択可能な治療方法、その利害特質、予後のいずれかについても言及しているというべきである。

もっとも、前記認定の被控訴人の乳癌のしこりの位置及び大きさ、腋窩リンパ節は手に触れないことのほかその病期が一期であったこと(原審証人妹尾、同近藤、原審における控訴人本人)によれば、被控訴人の乳癌は、霞班の本件要綱における乳房温存療法の適応基準を充足するばかりでなく、平成三年二月当時乳房温存療法を実施していた殆どの医療機関において乳房温存療法の適応にあるとされているものであった(甲九、原審証人妹尾、同近藤)。そうすると、控訴人は前記指摘の乳癌手術における特質に鑑み、被控訴人に対し、被控訴人の乳癌の状態が一応乳房温存療法の適応にあることを告げた上、乳房温存療法を受けてみるかどうかについて具体的な質問をするなどして、被控訴人の意思を確認する必要があったのではないかとの疑問が生ずる。

しかし、本件手術当時、乳房温存療法を実施するについては、従来の術式を実施しないことについて十分なインフォームド・コンセントが必要とされていた時期であること(甲九、乙四四、四八の1)、前記二3で説示したとおり、本件手術当時、乳房温存療法は、欧米での比較試験の結果及び日本における実施例の報告により、その予後等については一応の積極的評価がなされており、また、同療法の実施を開始した医療施設も多くあり、その一応の有効性、安全性が確認されつつあったということができるが、同療法はその実施割合も低く、未だその安全性が確立された術式であったということはできないことからすれば、控訴人において、同療法実施における危険を犯してまで同療法を受けてみてはどうかとの質問を投げかけなければならない状況には未だ至っていなかったと認めるのが相当である。

したがって、控訴人の前記説明は、他に選択可能な治療方法の説明として不十分なところはなかったというべきであるし、説明義務違反を前提とする被控訴人の本件手術の同意(前記認定の経過によれば、被控訴人は、平成三年二月一六日ないし同月二〇日の間に本件手術について黙示的にせよ同意していると認められるし、同月二六日に確定的に同意したものと認められる。)について瑕疵もなかったというべきである。

4  なお、被控訴人が本件手術の前々日に本件手紙を控訴人に交付したことは前記のとおりであるが、控訴人の本件手術についての説明は前記のとおり尽くされているものであり、本件手紙の内容も控訴人の被控訴人に対する胸筋温存乳房切除術が好適との判断を変えさせるほどのものではなかったことからすれば、本件手紙が控訴人に交付されたことにより、控訴人が新たに本件手紙に対する説明をしなければならない義務が生じたということはできない。

5  よって、原審争点2及び当審争点2に関する被控訴人の主張は採用できない。

四  原審争点3について

原判決の「第三 判断」中の四(原判決四六頁四行目から四七頁三行目まで)に記載のとおり(ただし、四六頁九行目の「病状」を「同人や被控訴人は病状」と改める。)であるから、これを引用する。

第四  結論

以上のとおり被控訴人の本訴請求は理由がないところ、これと異なる原判決は相当でないから原判決中の控訴人敗訴部分を取り消し、被控訴人の請求を棄却し、訴訟費用の負担について民訴法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官蒲原範明 裁判官糟谷邦彦 裁判官塚本伊平)

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